すべては「ゾス!」で解決できる/山本康二社長&岩田温『昭和が9割正しい!』試し読み(序章)

すべてはゾス!(気合いのあいさつ)で解決できる。昭和の遺産を食いつぶす平成・令和の「気持ち悪い」風潮をぶっ壊す。戦後80年を知ることで偉大な日本を取り戻す。

新入社員のほうから「殴ってください!」と言ってくる日本一オープンな「ブラック企業」の「パワハラ社長」、まじめな政治学者なのに大御所司会者をも怒鳴りつける「罵倒系ユーチューバー」による、コンプラ無視、ポリコレ上等の超放談。

この記事では2025年8月1日刊行の、ゾス山本(山本康二社長)&岩田温・著『昭和が9割正しい!』より「序章」を全文公開いたします。

序章 昭和の逆襲が始まった!


「ゾス!」

岩田 今日は「ゾス山本」ことグローバルパートナーズ株式会社社長の山本康二さんと対談できるのを楽しみにして参りました。山本さんについて簡単な紹介をさせていただきます。新卒で山本さん曰く「日本一のブラック企業」である光通信に入社、なんと28歳で取締役に就任しています。

光通信は通信の民営化直後の1988年に設立され、1995年にWindows95が発売されインターネットが世の中に広まったときに、先進国で最も普及率が低く通信コストが最も高かった日本で、その拡大に大きく貢献した会社です。

日本で99.8%を占める中小企業と一軒一軒つながっていき、いつしか契約企業は100万社を超えていたそうですね。その中でも山本さんが構築した売上は累計1兆円、時価総額数兆円規模まで企業を発展させました。部下も1万人いたそうですね。2009年には、海外進出をすべく懇意にしていた通信事業のソフトバンクの孫正義氏からの協力を得て、当時まだまったく無名だったアリババの日本代理店事業を開始。

面白いのは、設立当時はアリババの創業者ジャック・マー氏から信用がなくて同社の社名を名乗ることができず、「アリ・マーケティング」だった。でもあっという間に業績を出して、4カ月後には「ババ」をもらったとか(笑)。そして、デジタル・マーケティング事業、海外進出支援事業などを手掛ける現在の会社を立ち上げた。会社経営に力を注ぐだけでなく、人材育成にも取り組み、30年間で700人の社長を育て上げた。

何よりも面白いのはテレビ、雑誌、YouTubeメディアなどでは「パワハラ上等社長」と紹介されて、代名詞ともなっている「ゾス!」という気合いを込めた挨拶であり、上司への返事——「オッス」に似てますね——です。ちなみに私は担当編集者に本の帯に「ケンカ上等ユーチューバー」と書かれたことがあります(笑)。

今回は山本さんの会社で対談の収録をさせていただいているのですが、訪問した時も社員の方から「ゾス!」の嵐をあびせられました。本当に気合いの入った会社だなあとの印象を受けました。もともと「ゾス!」は光通信時代から使っていたそうで、「お疲れっす」がだんだん短縮されてゾスになった。「ゾス!」は1.0→2.0→3.0とバージョンアップしているそうですね。

山本 1.0の時代というのは、上司がもう言いたい放題、やりたい放題。いわゆる昭和の経営。2.0は社員も上司に対して遠慮せず、言葉を選ばず、ガンガン言いたいことを言える状況。
 
そして3.0は、世の中に対してもガンガン言うし、社内でやっていることはフルオープン。社長や役員、同僚の給料、原価や仕入れ、利益も全社員が知っている状況で、まさに今のうちの会社がそれを実践しています。

岩田 びっくりするのは、社員へのダメ出しもTikTokなどで公開している。パワハラだって批判は来ませんか?

山本 アンチコメントは確かに来ますが、社員からはまったく来ないですね。TikTokに投稿されているのは僕の許可なく社員がどんどん上げているものです。うちは採用もYouTubeの就活番組“就活NEO”で面接し、動画がアップされています。会社案内も、飲み会も、僕がテキーラを飲むところまで全部公開しています。

だから離職率も低い。去年(2024年)は2%くらい。世の中の平均が15〜16%と言われている中で、圧倒的に低い数字です。だいたいうちにエントリーメールを送ってくる若者たちは「ゾス!履歴書ないですが、すぐ働きたいです!」と書いてくるようなノリだし、「ぜひしごいてください」と向こうから言ってくる。

そんなDMへの対応に追われるようになり、求人媒体は不要になった。ブラックだと公開しているから、あまりやる気のない人や落ち込んでしまう人はそもそも来ない。学歴もバラバラ。MARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)以上や慶應もいるし中卒もいる。あと8割以上がバイリンガルで、社員も役員も半分は女性。

岩田 意外に女性が多いですよね。

山本 男は何か言うと「ゾス!(「承知しました」の意)」というのが多いけど、女の子は「ここのところがよくわからないのですが」と質問してきたり、「こうしたほうがいいんじゃないですか」と提案してきて、しかもちゃんと結果を残す。だから文句がない。

岩田 「ゾス!」というのは、要するに「余計なことをうだうだ考えるな、四の五の言わず行動に移せ」という気合いですね。

山本 そう。ゾスということで心を開放して鍛える。忖度そんたくとか遠慮とか怖気づく気持ちを「ゾス」ということで吹き飛ばす。「できないことはない!とにかくやってみろ!」それがゾス。

僕が社員に言っているのは、「ポジティブになりたかったら朝起きたらゾスと言え。それだけ言っておけば大丈夫。今日は8時間心が折れなくなる。1秒たりともネガティブにならないと自己洗脳しろ。上司に怒られてもお客様にクレームをつけられても『ありがとうございます!』。ゾスと言っていれば楽しくなる。そうすれば楽しいが自分の標準になる」と。

適切にもほどがある!

岩田 ゾスというのは昭和の価値観に近いものがあると思いますが、ドラマ「不適切にもほどがある!」のヒットで昭和の価値観や世界観が大きく見直されています。これまでも映画『ALWAYS三丁目の夕日』のように昭和の下町の人情や温かさをノスタルジーとして描いた大ヒット作はありましたが、「不適切にもほどがある!」は昭和の価値観を突き付けることにより、令和の行き過ぎたコンプライアンスやポリティカル・コレクトネスをユーモラスかつ痛烈に皮肉っているのが受けた。

このドラマのなかで阿部サダヲが演じる主人公・小川市郎の仕事が体育教師だというのもわかりやすい設定で、昭和語では「熱血」ですが、令和なら「ハラスメント」のオンパレードであり、「体罰」だと猛バッシングを受けるでしょう。

山本 実は僕は観よう観ようと思いながら忙しくて、いまだに「不適切にもほどがある!」を観ていません。ただ社員から聴くと、野球部の部員に対して「男のくせに!」「女の腐ったようなモヤシ野郎め!」と怒鳴ってるといいますね。「ジェンダーレス」の令和の価値観なら完全にアウト。

僕はもろ昭和育ちなのでわかるのですが、怒鳴られている方もさほど気にしていない。ケツバットや素手ノックなんて練習は、今だったら虐待ですが、当時は当たり前だった。でも今の若者たちを見てても同じなのは本気で怒ってくれる人は信頼するし、「男らしさ」「女らしさ」を求めていますよ。

岩田 平成、令和と時代が進むにつれて、世の中にはキレイゴトが横行するようになりました。綺麗な女性を美人と呼ぶのもルッキズムだから、ダメ。「男だったら強くあれ」といっても、性別役割意識を押しつけるからダメ。教員が生徒を殴るのはダメ、ではとどまらず、最近では大声で指導するのもダメ。少しでも子供たちを傷つけてはいけないという風潮がまかり通っています。過保護にもほどがある。

真剣に他人を指導、助言しようとすれば、ある程度、言葉は厳しくなるのは当然ですが、そういう言葉自体が否定されているから、誰も他人に指導、助言をしない時代になりました。結果として、無気力な若者が増え、社会全体は停滞しています。

山本 リベラルの言葉は薄っぺらくて「弱者保護」や「弱者救済」といいながら他人ごとの感じがすごくする。それなら「弱い者イジメをするな」という親父の説教のほうがよほど胸に響く。

僕と同じ世代は子供の頃に『巨人の星』や『あしたのジョー』を見て育ち、15、16歳のときに流行ってたのが『ビー・バップ・ハイスクール』で、男たるもの街中で会ったやつにはガンつけて肩ぶつけてケンカする。そしてそのあとに、大暴れするとんねるずやおニャン子クラブを観ていた。要するに、スパルタ、スポコン、パワハラ・セクハラしかテレビでやっていなかった。まさに「ゾス文化」を知る世代です。

この昭和の世代は、本当は成長期の日本を見て養ったコミュニケーションスキルが自然と身についているはずなんです。それなのに、20代で社会人になったとき、ホワイト化の波が押し寄せ、急に社会のルールや物差しが変わった。そして、それに合わせようと抑圧されてしまっている。

僕はその「社会が変わった瞬間」が、すごく嫌でした。僕の同級生も同じ青年期を過ごしてきたので、その瞬間を同じように嫌だと感じたはずです。それなのに、みんな「ホワイト化」という壮大な社会実験の渦に巻き込まれていきました。

結果として、30年間も我慢の連続で、発言は抑制され、いまや思考停止状態。若手から魅力がないと指摘され、それでも会社を辞めることも変えることもできてない。「不適切にもほどがある」は僕からすると「適切にもほどがある」。本音を隠してキレイゴトばかりいう堅苦しい社会にうんざりしているのだと思う。

もっと自由に発言していいし、もっとガンガンやった方がいい。僕は本当にやる気のない子、心の弱い子にスパルタはやらないが、半面、世の中の風潮がホワイトで、会社で思いっきり暴れられない人が何十万人もいることを無視してはいけない。

メディアの取材に対し、うちの社員たちは、次のように答えていますよ。「叱られないと怠けてしまうのでわざと厳しい環境に入社した」「経営者になりたくていずれ卒業するつもりで入社。若いうちに無理にでも経験を積みたい」「怒られるのがむしろ嬉しい。愛してもらっている感じ」「褒められて伸びる人もいるだろうが、グローバルパートナーズに入社する人はみんなパワハラ上等」。

戸塚ヨットスクールは「悪」なのか

岩田 アベプラ(アベマ・プライム)で山本さんが登場し、お話を伺った際、戸塚ヨットスクールの戸塚宏さんと似た雰囲気を感じました。戸塚ヨットスクールは、親や学校の先生が非行や不登校で手が付けられないと見放した子供たちをスパルタ式の厳しいヨット訓練を通じて更生させることを標榜ひょうぼうしていましたが、複数の訓練生が死亡したり海で行方不明になるなどの悲劇を引き起こしました。

そのため、「体罰死」の象徴として社会から大バッシングを受けた。校長の戸塚宏氏は懲役6年の実刑判決を全うしましたが、いまだにそのイメージを引きずって、非難の的とされています。もちろん、子供を死なせてしまったことは悲劇ですが、その一方で600人以上の子供たちを更生させた功績があることも事実です。現在でも戸塚氏に感謝している子供や親も少なくないと聞いております。

ABEMA Primeで戸塚氏をゲストに教育をテーマに議論をした回があり、観てみました。リベラルなコメンテーターは「体罰はよくない」「言葉があるのだから対話で教育すべきだ」といったお決まりのきれいごとを述べるだけで、議論がまったくかみ合わない。

リベラルの人たちは戸塚ヨットスクールが親も先生も手の施しようがないとさじを投げた「どうしようもない子供たち」を相手にしているという現実を踏まえていない。リベラルの人々は世の中は言葉で説得可能だと思っていますが、現実はそれほど単純ではありません。警察がいなければ、犯罪は横行するでしょうし、ウクライナを侵略しているプーチン大統領を言葉で説得してみてもなかなか聞き入れてはくれないでしょう。

北朝鮮に「拉致らち被害者を還せ」といっても、無視されてしまえば為す術もありません。これが現実です。手の施しようがない「一番の問題児」はどういう少年か。戸塚さんの意見は独特です。一般に考えられるような親や教師にまで暴力を振るうような不良少年ではない、というのです。幼少のころから飢えたことがないため、何に関しても興味を示すことができない、感動することができない子供こそ、一番の問題児だというのです。

不良少年たちは潮干狩りをさせると最初はいやいやです。しかし、いざ始めると楽しくなってくる。でも、飢えたことのない子供は潮干狩りをさせても、やったふりをするだけで、貝を捕る喜びを味わうことができない。要するに生きようとする本能が弱いのです。

戸塚氏が不安定なヨットを教育ツールとして利用する理由は、木登りに原点があるといいます。幼少のころに木登りをすると、木から落ちる恐怖を覚える。そして死を感じることによって生命力を高める。昔は子どもなら誰でもやっていた木登りを危ないからと親がさせなくなった体験を教育の現場に応用したのです。そして不安定なボートでバランスをとることにより忍耐力を養い、自我を育てる。

「教育は体罰である」という戸塚氏の理念は暴論に聞こえますが、九九を暗記させることも強制をともなう体罰の一種です。そう考えると、戸塚氏がいうように「体罰=悪」ではなく、やり方の「正しい体罰」と「悪い体罰」があり一概に否定はできないと思います。もちろん、学校の教師が「正しい体罰」と主張しても、相手にされず、ひたすら否定されるはずです。

山本 僕のことを戸塚ヨットスクールみたいだと批判する人がいますよ。TikTokとYouTubeのコメント欄には「頭おかしい」、「詐欺師だ」、「宗教だ」、「洗脳だ」、「ブラックだ」、「気持ち悪い」、「マルチ」、「やばい」ばかり。でもそんなコメントは「ゾス!」で吹き飛ばす。

岩田 当たり前ですが、私は昭和の価値観をすべて肯定するわけではありません。女性というだけでお茶くみをさせるような働かせ方は論外です。能力がありながらも、女性であるという理由だけで排除される価値観はとても肯定できません。もちろん、令和の価値観を全否定するつもりもありません。

ただ少なくとも昭和は戦争だけでなく経済戦争でも世界と戦えた時代であることは間違いありません。平成以降に排除されてきた昭和のよいところを見直し、ウクライナ、中東と戦争が連鎖する国際情勢のなかで日本が生き延びるために、日本人一人ひとりが何をすべきか、企業の役割は何か、そして日本政府はどのような国家戦略を持つべきか。本書では、そうした問題意識を持って実際に世界の中で闘ってきた山本さんと一緒に多角的に考えていきたいと思います。