岩田温×山崎行太郎 今こそ「江藤淳」を読み返す⑮
【概要】
江藤淳が善悪二元論を厳しく批判し、ドストエフスキー『罪と罰』を例に、貧しい老婆とその孫娘を殺害したラスコーリニコフを単純に「罰しろ」とする読者の浅薄さを指摘していた点を紹介する。江藤にとって人間は善悪では語れない存在であり、それゆえ改憲派・護憲派双方の政治的立場を安易に断罪する姿勢を戒めていたと論じる。また、江藤の政治評論について、細川護熙政権(1994年)を論じた「政治家の顔」が優れた例であり、江藤は政治家の表情や仕草から権力欲や資質を読み解く独自の観察眼を持っていたと評価する。さらに、権力闘争そのものを否定的に見るのではなく、政治にとって権力争いは本質的なものであるという江藤の現実主義的な政治観を強調し、記者や学者が政治評論に安易に参入する風潮を批判しつつ、江藤ほど政治家の「顔」を通じて時代状況を読み解いた評論家はいないと総括している。
【参考文献】
ドストエフスキー『罪と罰』
江藤淳『一族再会』
アラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』
シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』
シェイクスピア『ヴェニスの商人』
シェイクスピア『オセロー』
【キーワード】
善悪二元論批判/『罪と罰』/ラスコーリニコフ/細川連立政権論/権力闘争の本質/改憲派・護憲派への戒め/政治評論家としての観察眼/記者・学者の政治参入批判/権力と人間性/現実主義的政治観
