岩田温×山崎行太郎 今こそ「江藤淳」を読み返す⑩
【概要】
江藤淳が三島由紀夫『鏡子の家』を石原慎太郎『太陽の季節』に重ねながら批判したエッセイに触れ、三島自身も同作の失敗を認めていたと紹介する。また三島の自決について、江藤が『ごっこ』と評した点を巡り、小林秀雄との対談で二人がまったく異なる評価を示していたと指摘し、江藤の批判が三島の作品にある「美しさ」を否定するものではなく、むしろその美的完成度と現実生活との乖離を鋭く突いたものだったと論じる。さらに、江藤自身が靖国懇話会に参加するなど政治参加を実践していた点を挙げ、三島の自決を短いスパンでは「下策」、長いスパンでは歴史を動かす行動として評価が変わり得ると述べ、西郷隆盛の西南戦争を100年後の視点で評価した『南洲残影』を引き合いに、歴史的行為の意味は時間の経過とともに変わることを強調している。最後に、文学者は自殺しうるが学者は自殺しないという違いに触れ、学者は歴史や資料と対決し続けるべき存在だと結論づけている。
【参考文献】
江藤淳「ヒットラーのうしろ姿」
江藤淳『閉ざされた言語空間』
江藤淳『南洲残影』
三島由紀夫『鏡子の家』
三島由紀夫『金閣寺』
三島由紀夫『憂国』
三島由紀夫『わが友ヒットラー』
石原慎太郎『太陽の季節』
【キーワード】
『鏡子の家』批判/石原慎太郎/三島の自決/小林秀雄/靖国神社参拝問題/『閉ざされた言語空間』/『南洲残影』/西郷隆盛/短期と長期の政治的見方/文学者と学者の自殺観
