昨日、講師としてお招きいただき「小栗上野介(忠順)と日本人の気概」を演題に講演させていただきました。主催者の方、参加者の皆様から大変ご好評いただきました。
この度は、このような素晴らしい講演会を企画・開催していただき、心より御礼申し上げます。
【講演要旨】
幕末という国家存亡の時代、日本の将来を見据え、近代国家への道を切り拓こうとした幕臣がいた。小栗上野介(忠順)である。
小栗は単なる「徳川幕府最後の勘定奉行」ではない。欧米列強が東アジアへ進出するなか、日本が独立国家として生き残るためには、外国の技術を学びながらも、自らの手で国を守る力を持たなければならないと考えた。その象徴こそ、横須賀製鉄所の建設である。
ペリー来航以後、幕府にとって海軍力の整備は喫緊の課題となった。小栗らはフランスの協力を得て、本格的な造船施設の建設を推進する。フランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーを迎え、慶応元年(1865年)、横須賀製鉄所は起工された。そこには造船台やドライドックだけではなく、近代的な機械設備と技術体系が導入され、日本人技術者を育てる場としての意味もあった。幕府が倒れた後も事業は明治政府に引き継がれ、横須賀は日本の近代的造船・海軍力発展の重要な拠点となっていく。横須賀市も横須賀製鉄所を「日本の近代化」の礎として位置づけている。
重要なのは、小栗が自らの属する徳川幕府の存続だけを考えていたのではなく、その先にある「日本」を見ていたことである。政権が代わったとしても、日本という国家は続いていく。ならば次の世代に何を残すべきなのか。目先の政治的損得を超えて、百年後の国家に必要なものを築こうとしたところに、小栗の真価がある。
しかし小栗自身は、その後の近代日本を見ることなく、慶応4年(1868年)に非業の最期を遂げた。それでも、彼が蒔いた種は消えなかった。横須賀製鉄所の事業は明治政府へ引き継がれ、1871年には第一号ドックが完成する。
国家の危機に際して、批判や悲観に終始するのではなく、「では、自分は何を残すのか」と考え、実行する。自分自身が成果を見ることができなくとも、後世の日本人のために仕事をする。そこに小栗上野介が体現した「日本人の気概」がある。
本講演では、横須賀製鉄所建設をはじめとする小栗の足跡をたどりながら、幕末という激動期に一人の日本人がいかに国家の未来を構想したのかを考える。そして小栗の生涯を通して、先行きの見えない時代を生きる現代の日本人に求められる「気概」とは何かを問い直したい。
