【日本学術機構特別講演会『大東亜戦争の大義』】
◇演題『大東亜戦争の大義』
◇講師
岩田温(日本学術機構代表理事/政治学者)
◇日程
令和7年8月15日(金)
15:00開演 / 講演2時間(予定)/ 14:30開場
◇会場
ホテル東京ガーデンパレス 2階「平安」
(〒113-0034 東京都文京区湯島1丁目7−5)
※会場へのお問い合わせはご遠慮下さい。
◇会場へのアクセス
・JR中央線・総武線「御茶ノ水駅」聖橋口(東京駅寄りの改札)より徒歩5分
・東京メトロ千代田線「新御茶ノ水駅」より徒歩5分
・東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水駅」より徒歩5分
・東京メトロ銀座線「末広町駅」より徒歩8分
◇定員
100名
◇チケット
・オフライン
普通席(前売り):5000円
普通席(当日):6000円
https://peatix.com/event/4493164
※銀行振り込みをご希望の方へ
https://forms.gle/Fm7DeHAakEuQtBf77
・オンライン
動画配信のみ:3,000円
※8月18日(月)配信予定
https://peatix.com/event/4493174
◇キャンセルポリシー
お申込後、お客様都合によるキャンセルは承っておりません。チケット代金の返金は致しかねます。先着順でお席を確保させて頂いておりますので、何卒ご了承願います。
◇お問い合わせ
メール:info@nippon.or.jp
TEL:090-9219-3240
※件名または本文に「8月15日/講演会」とご記載ください。
先日、医師の長尾和宏先生のライブにお招きいただいた。
先月、先生のニコニコ・チャンネルで対談させていただいたご縁から、ライブ「長尾です」に参加させていただく運びとなった。
長尾先生が昭和歌謡を歌うのだが、「長尾です」のタイトルにも昭和歌謡にも意味があった。
長尾先生は「桐島です」との映画の制作に深くかかわっている。
桐島とは、三菱重工爆破事件に関与し、指名手配され、逃亡を続けた。
2024年1月に「桐島です」と本名を名乗った4日後に亡くなった。
そんな桐島たちが聴いていた昭和歌謡とはどんな歌だったのだろうか。
長尾先生は本当に歌がうまく、観客も沸き立っていた。
お人柄もあるのだろう。小学校、中学校の頃からご友人等、様々な関係者の方々がお越しになっていた。
色々と知っている歌があったが、最も考えさせられたのが「いちご白書をもう一度」だった。
この歌のメロディは好きなのだが、聴く度に歌詞について考える。
「就職が決まって髪を切ってきたとき、もう若くないさと 君に言い訳したね」
恐らく、桐島は「言い訳」をしない人生を歩みたかったのだろう。
彼の犯罪は決して容認されるものではないだろうし、その思想についても全く賛同出来ない。
だが、「言い訳」をせずに自分の信じる道を歩み続けた人物が存在したことは興味深い。
学生運動に参加した多くの人々は「言い訳」をして、途中で降りたのだ。
ドストエフスキーの『罪と罰』には、ラスコーリニコフが「果てまで歩いてきた」との表現があり、これが心を打つ。
山崎行太郎先生と『月刊日本』で連続対談している「江藤淳論」でも、この表現が取り上げられた。
「果てまで歩く」人生は、凡庸な人生ではない。
ある種の狂気を宿した人生である。
だが、人間は時に凡庸さではなく、狂気を好む生き物だ。
少なくとも私は学生運動の熱狂から降りて、社会人として功成り名遂げた人物よりも、逃亡を続けた桐島の生き方を是としたい。
これは私の政治観とは全く異なるので、私もまた分裂した自己を生きているのかもしれない。
首尾一貫しないこと、コワコフスキの指摘を思い出しながら、長尾先生の熱唱を聴いていた。
長尾先生、お招きいただき、とても楽しいひと時を有難うございました!
講演の仕事で熊本へ出張した。
熊本も早々に梅雨が明けていて暑かった。
タクシーの運転手さんの話によると台湾のTSMCの工場が出来た影響で熊本の景気はよいとのことだった。
空港でも外国人が多かったが、そのほとんどがアジア系の人々だった。
今回、初めて訪問し、参拝することになった神社があった。
熊本で最も参拝したかった神社といってよい。
新開大神宮だ。神風連の乱の首領、大田黒伴雄が宮司を務めたことで知られる。
神風連とは、廃刀令、断髪令、日本が日本でなくなることを憂えて蹶起した人々だ。もとより生還を期すことのない、精神的蹶起といってよい。
破れることが必然であった闘いに赴いた武士たちの胸中に去来したのは何だったのか。様々な想いが膨らんだ。
桜山神社も参拝したが、残念なことに新風連記念館は閉館されていた。
郷土の歴史を語り継ぐためにもこうした記念館を残しておくことは重要だ。
神風連の乱を扱った文学として名高いのが三島由紀夫『豊饒の海』、第二巻「奔馬」である。
熊本市内の古書店で神風連関連の書籍を購入し、色々と考えた。
日本の保守主義を考える際に、忘れてはならない地、それが熊本だ。
昨日は高校時代の友人が大阪に遊びに来てくれた。
彼はアメリカ在住。ニューヨークという民主党の牙城に住んでいる。
予約した時間にお店に入ろうとしたら、何故か満席。
予約しているのに不思議だと思いながら、暑い中、外で待つ。
外だと倒れると思い、近所のコンビニに駆け込んだ。
雑誌コーナーを観ながら尋ねた。
「アメリカにも週刊誌って、こんな感じであるの?」
「アメリカにも雑誌は結構あるけど、『この夏こそ痩せる』とか『英国王室は…』との話題が多いよ」
どこでも多くの人々が興味を抱くことは似ているようだ。
少し待った後にお店に入ると少しだけ待って、カウンター席に座ることが出来た。
よくみると満席である。
何故、平日に混んでいるのか不思議だったが、部屋が暗くなり、流れている音楽が変わって、パチパチと光り輝く線香花火のような蝋燭がついたケーキが登場して理解出来た。
七夕に入籍する人たちが多かったのだ。
令和7年7月7日7時7分7秒。随分と7が並ぶ。
西暦圏では有り得ない入籍日だった。
そして、もちろんだが、全く関係ないおじさん2人にはケーキがない!
断固、抗議‼️、は、しなかった。
友人は文章が長くなる癖があるので、短歌を詠むことにしようと日本から本を取り寄せたらしい。
どの本にも我々の高校時代の国語の教師のことが紹介されていたという。
そういえば、あの先生は昨年亡くなったらしいと話す。
随分と可愛がってもらったが、卒業後一度だけお目にかかっただけだった。
色々とお話をうかがっておけばよかった。
ところで、残念ながら、歌心のない私は和歌や短歌の類が苦手だ。
覚えているのは…
けふよりは かえりみなくて おおきみの しこのみたてと いでたつわれは
『萬葉集』に収められている防人のうた。
マッチ擦る 束の間海に 霧深し 身捨つるほどの 祖国はありや
寺山修司が朝鮮戦争を始まった際、日本に残っていた在日の心情を詠んだ歌だ。
どちらも武張った歌だ。
友人によれば、短歌入門で紹介されている歌は余り感情移入できない作品も多いという。
何故なのか。
恐らく、我々が切実に共感できるためには一種の精神的な同調を前提とするからではないか。
目前に迫った戦争に出征しなければならない防人の「かえりみなくて」との言葉には、保田與重郎が指摘したように、「かえりみる」我と「かえりみてはならない」我との葛藤が描かれているから、切ないのであって、決然とした旅立ちの歌ではないからこそ、そこはかのない哀しみが伝わるのだろう。
寺山修司の歌でも、祖国に帰り戦わなければならない自分と平和な日本で暮らしたい自分との葛藤が描かれている。
大義と死とが同居し、そこに戸惑いを覚える精神の揺らぎに我々は何がしかの感動を覚えるのだろう。
今日は早く帰宅したけれども、恋人に会えなかったという想いを短歌に綴ることが間違っているとは思わないが、何か切実に心に響くものがないのも事実である。
そういう意味では、芸術は死と隣り合わせになった方が作品の水準が高まるのだろうか。などと考えると一気にナチズムに近づく気もしてくる。
ところで、落語の「道灌」では、江戸城を築城した和歌の名手太田道灌が歌道を志す逸話が紹介されている。
俄雨に遭った道灌が蓑を借りようと民家に立ち寄る。
民家では少女が応対し、蓑を貸す代わりに何故か道灌に山吹の枝を差し出す。
意味がわからず怒る道灌に、側近が囁く。
「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」
「山吹の実の」を「蓑」に掛けた少女の教養溢れる応えだった。
道灌は己れの無知を恥じ、歌を学び始める。
残念ながら、私には歌心がないのだが、よい趣味だと感じた。
日本の夏ということで岩牡蠣を食す。
安倍晋三元総理がテロリストの凶弾に斃れて3年。
改めて安倍元総理の憲法改正に懸ける想いについての熱弁を拝聴した。
力点は明らかに「自分の国は自分で守る」ことに置かれている。
冗談も面白く、明るく、そして情熱的に政治理念を語る様子が印象的だ。
一方、石破総理の演説とは何なのだろうか。
テレビの質疑応答を見ていても、見苦しいの一言に尽きる。
とにかく、つまらないし、暗い。
何よりも自分自身の理念を情熱的に語ることが出来ない。
見ているだけで不愉快になるし、他国の人々の目の前に出ていただくことが日本国民として恥ずかしい。
誰がどう見ても宰相の器にあらざる人物を総理に選出した自民党の代議士たちの不見識は糾弾されてしかるべきだろう。
こうして選挙に負けるのであれば、自業自得といったところだろう。
石破総理が選挙区に入れば、入るだけ、票が逃げていくのではないか。
7月5日に大災害が起こるという予言は外れた。
しかし、拙著『自民党が消滅する日』の予言は外れていない。
石破総理の顔をみれば、みるほど、『自民党が消滅する日』の説得力が増している気がしてならない。
自民党が次期参院選の全国比例の候補者として鈴木宗男(ムネオ)を公認した。
前回の参院選では日本維新の会の全国比例から出馬し、22万票を獲得し、当選した。
自民党としては一票でも多くの票を獲得したい、一人でも多くの公認候補を当選させたいというのが本音だろう。
選挙で勝利を目指すのは、負けようと覚悟を定めて競馬に向かう人がいないのと同様に自然なことだ。
だが、鈴木宗男なる政治家を日本の与党である自民党が公認したことの意味合いが、世界各国に対してどのようなメッセージを送ることになるのかを冷静に分析しておくべきであろう。
ロシアがウクライナに侵略した事実に対して、鈴木宗男氏はロシアを擁護し、ウクライナへの停戦を求める姿勢を取り続けている。
頑ななまでに親露政策を掲げているのが鈴木宗男氏だ。
彼のブログから、象徴的な言葉を引用しておこう。
「ウクライナ戦争にしてもバイデン前大統領が、武器、資金を送り続けたことが今日こんにちまで長引く要因の一つになった。一にも二にも停戦だと言って武器、資金を送らなければ事態は変わった。」
(2025年5月2日)
「自前で戦えないウクライナが先ずは何の条件も付けず停戦を受け入れるべきです。」
(2025年5月25日)
ムネオの論理に従えば、ウクライナが停戦せずに抵抗を続けていることが問題だということになってしまう。
だが、ロシアの侵攻がなければ、ウクライナが抵抗する必要がないのだから、論理の順序が違う。
ロシアが撤兵してこそ、国際法が遵守され、平和が訪れるのだ。
ロシアのウクライナ侵略は国際法に違反する。
これに対してウクライナが侵略に抵抗しているのは「個別的自衛権」の行使であり、国際法に合致している。
「喧嘩両成敗」というわけにはいかないのだ。
強盗が銀行に押し入り、銃で人を撃ち殺すのは犯罪だ。
しかし、警官が人質を守るために強盗を射殺するのは違法ではない。
同じ殺人であっても罪に問われる場合もあれば、問われない場合もある。
それが法の精神だ。
石破総理はNATOの首脳会談を欠席した。
決定的に愚かな選択だったといってよい。
口先でNATOと足並みをそろえるといっても、結局はNATOを軽視していることを内外に示すことになったからだ。
しかも、愚かで滑稽なのは、トランプ大統領が欠席するから自分も欠席するとの理由だ。
結局、トランプ大統領が出席することになったのだから、情勢判断を誤っていたとしか言いようがないだろう。
また、うがった見方として、NATOが防衛費の増加を求められ、これを承認することを事前に察知した石破総理が出席を見送ったとの議論もあった。
だが、これもおかしな話だ。冷戦時代には、経済に傾注し、軍事力を軽微なものとする「吉田ドクトリン」が有効だった時期もある。
しかし、中国の台頭はそうした過去の体制の存続を許さない状況にまできているのが現実だ。
現実を見つめるのならば、日本が防衛費を増強しなければならないのは明らかだ。
トランプ大統領に会うことが防衛費の増強につながるので逃げ出した、などという人物が日本の総理大臣を務めていてよいはずがない。
余りにも愚かで、滑稽、そして醜悪なのが石破内閣だ。
2025年7月5日、日本で大災害が起こるとの予言を信じ、訪日する外国人が減っているという。
この予言の書とされるのが漫画家のたつき諒さんの『私が見た未来 完全編』だという。
「完全編」とあるのがポイントで、完全版以前に出版された『私が見た未来』の初版は1999年7月だ。
このときには2025年7月5日の大災害については書かれていなかった。
初版の表紙に書かれていたのが「大災害は2011年3月」との言葉。
実際に、2011年3月11日に東日本大震災が起こり、日本中が震撼した。
完全版では、2025年7月、東日本大震災を越える大災害の予言が記されていた。
「夢を見た日が現実化する日ならば、次にくる大災難の日は『2025年7月5日』ということになります」
これを信じた外国人客が7月5日前後の訪日を控えるとの事態に展開している。
予言や占いについては動画で色々と話したのでご参考にして頂ければ幸いだ。
私自身は予言や占いの類をほとんど信じないので、7月5日には淡々と新大阪で講演を行う予定である。
イランの核問題が世界で注目されたが、日本の周辺は核武装国家ばかりである。
何故、日本国民は核武装の議論すら忌避するのか。
「平和憲法によって日本の平和が守られてきた」、「非核三原則、核廃絶が正しい世界の進路である」との二つの命題は、触れてはならないタブーとされてきた。
しかし、本気で日本の平和を考える際に、核兵器の問題を無視することは出来ないだろう。
全くの偶然だが、この7月5日に核問題をタブー視してきた戦後日本の欺瞞についての講演を行う。
会場は新大阪の近くだ。
オンラインでの配信も決まっているので、遠方の方は是非ともオンラインでご予約頂きたい。
会場は席に限りがあるので先着順とさせて頂いている。
日本学術機構の賛助会員(岩田温大学のメンバー)は、無料でご参加頂けるので、是非とも、これを機会に参加して頂ければ有難い。
◇演題『日本人はなぜ核武装を嫌うのか』
◇講師
岩田温(日本学術機構代表理事/政治学者)
◇日程
令和7年7月5日(土)
15:00開演 / 講演2時間(予定)/ 14:30開場
◇会場
新大阪グランドビル5階会議室
(〒532-0003 大阪府大阪市淀川区宮原2丁目14−14)
※会場へのお問い合わせはご遠慮下さい。
◇会場へのアクセス
地下鉄「東三国」徒歩 4 分
JR「新大阪」徒歩 9 分
◇定員
30名
◇チケット
・オフライン
普通席(前売り):5000円
普通席(当日):6000円
https://peatix.com/event/4471976
※銀行振り込みをご希望の方へ
https://forms.gle/pWbUXunMDgLb9Gen7
・オンライン
動画配信のみ:3,000円
※7月8日(火)配信予定
https://peatix.com/event/4471988
◇キャンセルポリシー
お申込後、お客様都合によるキャンセルは承っておりません。
チケット代金の返金は致しかねます。先着順でお席を確保させて頂いておりますので、何卒ご了承願います。
◇お問い合わせ
メール:info@nippon.or.jp
TEL:090-9219-3240
※件名または本文に「7月5日/講演会」とご記載ください。
【賛助会員】
◇ご入会特典1 全国各地の講演会、勉強会が見放題!
◇ご入会特典2 日本学術機構が主催する講演会、勉強会に無料で御招待!
(※賛助会員様には懇親会をご用意させて頂いております)
◇ご入会特典3 岩田温の新刊を賛助会員の皆様にお届け申し上げます!
◇ご入会特典4 岩田温がメルマガをお送りいたします!
【法人賛助会員】
法人賛助会員を募集しております。社内教育、新人教育、研修等にぜひご活用ください!
法人会員の企業様には無料で講演会を開催させて頂きます!(※交通費、宿泊代は除く)
是非ともご入会のご検討をお願い申し上げます。
国民民主党の玉木雄一郎代表の発言が問題視されている。
日本外国特派員協会における質疑の際のやり取りが批判されている。
質問者は国民民主党の支持率の男女差について問うた。
男性の支持率が高く、女性の支持率が高いのは何故かとの問いだった。
この問題はかねてより指摘されており、私自身も疑問に思っていた。
勿論、明確な答えが見つかっているわけではないのだから、答えるのが難しい質問であったことは言うまでもない。
ここで玉木氏は次のように応えた。
私たちの政策は男性だけではなく女性にとっても良いものだが、理解してもらうのが難しい
(I think our policy is good not only for men but also for women. But I think it’s very difficult to understand for them.)
https://www.j-cast.com/2025/06/25505452.html?p=all
英語で答えたのだから、この日本語は記者が訳したものだろう。
少し、丁寧な訳であり、敢えて言えば玉木氏を慮った訳になっている。
もっと、差別主義者のように乱暴に訳すなら、「俺たちの政策は男にとっても女にとってもいい政策なんだが、女には難しくて理解できねぇ」といった感じになる。
勿論、玉木氏がこれほどバカで乱暴なことをいうはずがない。
だから、これは率直にいって、英語力の問題であって、女性蔑視の発言ではなかったはずだ。
本人が弁解しているように、「英語が未熟なため、拙い表現をしてしまった」だけの話であり、「女性蔑視をするつもりはありませんでした」との通りだろう。
幾ら語学が堪能であっても責任ある立場として話す際は、通訳を入れた方が安全だ。
仮に通訳がおかしな翻訳をしても、それは通訳の誤りだと主張することが可能だからである。
リスク回避の観点から、語学に堪能な人であっても、公の場で話す際には、通訳を入れることを考えておいた方が無難だろう。
本来、大した問題ではないのだが、他の野党がここぞとばかりに玉木批判を繰り返した。
米山隆一、蓮舫、泉健太、福島瑞穂…
例によって、いつもの面々という感じがするが、彼らは玉木氏の発言を信じがたい女性蔑視発言だと非難した。
性懲りもなく、批判しているが、彼らの政党の支持率が上がることもないだろう。
もう、こうした揚げ足取りで誹謗することに国民の多くは飽き飽きしているはずだからだ。
では、何故、国民民主党の女性支持率が上がらないのだろうか。
こちらの方がより重要な問題である。
山尾しおり氏の騒動を思い出す人も多いはずだが、恐らく、それは根源的な問題ではない。
何故なら、結党以来、男性支持率が高く、女性支持率が低いという傾向が続いているからだ。
山尾ショックによって女性支持率が下がった訳ではないのだ。
男尊女卑を肯定するつもりは毛頭ないが、端的な事実を述べておきたい。
それは書籍の売り上げに関する事実だ。
政治や軍事関係の書籍は男性の購入者が圧倒的に多い。
これに対して、女性の購入者が圧倒的に多いのが美容、ダイエット、占いといった分野だ。
はっきりと購買層が区別されている。
この傾向を信じるならば、そもそも男性の方が政治に興味のある人が多く、女性で政治に興味がある人は少ないということになる。
勿論、一般的な傾向をいっているだけで、女性で政治に興味のある人がいないと主張するつもりもないし、それが悪いと説くつもりもない。
仮にこの傾向が政党支持率に関係があるとするならば、国民民主党を支持する層は、国民全体の中では相当政治に興味のある人と考えてみることも可能だろう。
政治に関心の強い人々にとっては信じがたいことかもしれないが、一般的に国民の政治への無関心は顕著である。
現在の内閣の大臣を挙げて欲しいといった際、石破、小泉までは挙がるだろうが、それ以外の名前を知っている人は驚くほど少ないはずだ。
ましてや副大臣の名前を知っている人になれば好事家の類に入るだろう。
国民民主党の知名度はまだまだ低く、政治に興味関心の強い人がその政策を知っているに過ぎないと考えてみよう。
そうすると、女性の支持率が低い理由の一つは知名度不足ということになる。
女性で国民民主党の存在を知っている人はまだまだ少なく、それゆえに魅力も伝わっておらず、女性の支持率も低いというわけだ。
政治に詳しい人は、世の中の大多数が政治に詳しいと思い込む。
自身の関心と他者の関心は異なることを心に置いておくことが冷静な判断を下す際、重要になってくる。
www.j-cast.com