月刊正論2月号に岩田温の論説が掲載されました!

・考察・保守主義「狂気の思想家ルソーの妄想」

【概要】
ルソーの『人間不平等起源論』を中心にその思想の根本的な誤りを検証する。ルソーが想定した「自然状態」や理想化された「自然人」は歴史的事実に基づかない妄想であり、性欲や睡眠欲のみを持ち家族すら形成しない動物的人間像は破綻していると指摘する。さらに「所有こそが諸悪の根源」とするルソーの文明否定論を、S・スマイルズ『自助論』や勤勉・所有権を肯定する常識的知見と対比し、その反知性的性格を批判する。ヴォルテールの反論やポル・ポトによるカンボジアでの文明破壊・大量虐殺の実例を挙げ、ルソーの思想が全体主義的な破壊衝動に直結する危険性を論じる。最後に、ルソーが人間を「善でも悪でもない」憐みの情の存在とみなした点はキリスト教的道徳や文明を全否定するアナーキズムに帰結し、ロベスピエールら革命指導者に受け継がれたことを示している。

【引用文献】
ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』
ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』
サミュエル・スマイルズ『自助論』
ステファヌ・クルトワ『共産主義黒書』
バーナード・デ・マンデヴィル『蜂の寓話』
トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』

【キーワード】
ルソー/『人間不平等起源論』/自然状態・自然人/所有権の否定/文明否定論/ポル・ポトとカンボジア/憐みの情/アナーキズム的破壊衝動/ロベスピエールへの継承/反知性主義的人間観

月刊日本1月号に岩田温の論説が掲載されました!

岩田温×山崎行太郎 今こそ「江藤淳」を読み返す⑪

【概要】
江藤淳と吉本隆明の対談「吉本隆明/江藤淳 全対話」を巡り、両者ともに家族や友人の倫理と政治の論理を混同せず、対立を避けようとする姿勢に共通点があると指摘する。江藤の対談における「私は保守です」という発言と、吉本の「私は左翼です」という発言を対比しつつ、二人の対話の柔らかさこそ「海は青い」を成立させる基盤だったと論じる。またニーチェの「ラクダ・ライオン・小児」の比喩を引きながら、丸山眞男らの戦後民主主義的知識人がライオンの段階に留まり、新しい価値を創造する小児の段階に至れなかったことを批判する。さらに、GHQの検閲研究における江藤の先駆性を強調し、丸山眞男の分析が江藤に比べ単純だったと述べる。最後に、暴力と秩序をめぐって、江藤と吉本がともに暴力を全面否定せず、秩序形成における暴力の不可避性を直視していた点、そしてドストエフスキー『罪と罰』を通じて人間の暴力性や絶望に向き合う姿勢に触れ、江藤の思想の奥深さを称賛している。

【参考文献】
江藤淳・吉本隆明『吉本隆明江藤淳全対話』
江藤淳『閉ざされた言語空間』
江藤淳「わが友ヒットラー」フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』ドストエフスキー『罪と罰』
永山則夫『無知の涙』

【キーワード】
吉本隆明/海は青いか/ラクダ・ライオン・小児/丸山眞男/GHQ検閲研究/暴力と秩序/天皇制と暴力/『罪と罰』/人間の暴力性/自己懐疑と自己欺瞞

月刊正論1月号に岩田温の論説が掲載されました!

・黙れ!橋下徹

・考察・保守主義「なぜ近代にこだわるのか」

【概要】
大量虐殺を招いた原動力としてルソーの近代的自我崇拝を再検討する。まずチャールズ・テイラーの『自我の源泉』を手がかりに、キリスト教的原罪や呪縛からの解放を志向する「近代」概念そのものが西洋思想史の産物であることを示し、ルソー『新エロイーズ』を、キリスト教の性道徳や結婚制度への反逆、自然を神格化する思想の書として読み解く。続いて日本の防人歌や戦没学生の遺した歌を引用し、近代的自我とは異質な、家族や祖国への献身を美しいとする日本古来の精神を対置する。さらにハイデガーの政治参加やナチス加担にも触れつつ、近代思想の危うさを論じ、最後にマキャヴェリの宗教統治論を援用しながら、ルソーの著作が革命家の「正義」への過信を生み、大量虐殺を正当化する土壌となった構造を明らかにしている。

【参考文献】
チャールズ・マーグレイヴ・テイラー『自我の源泉』
ジャン=ジャック・ルソー『新エロイーズ』
『保田與重郎全集』第十七巻
「あづさゆみ」
『大東亜戦争詩文集』
マルティン・ハイデッガー『形而上学入門』
『旧約聖書』
ニッコロ・マキァヴェッリ『ディスコルシ』

【キーワード】
近代的自我/チャールズ・テイラー『自我の源泉』/ルソー『新エロイーズ』/キリスト教への反逆/自然崇拝/特攻隊/ハイデガー/マキャヴェリの宗教統治論/正義への過信/イデオロギーと大量虐殺

月刊日本12月号に岩田温の論説が掲載されました!

岩田温×山崎行太郎 今こそ「江藤淳」を読み返す⑩

【概要】
江藤淳が三島由紀夫『鏡子の家』を石原慎太郎『太陽の季節』に重ねながら批判したエッセイに触れ、三島自身も同作の失敗を認めていたと紹介する。また三島の自決について、江藤が『ごっこ』と評した点を巡り、小林秀雄との対談で二人がまったく異なる評価を示していたと指摘し、江藤の批判が三島の作品にある「美しさ」を否定するものではなく、むしろその美的完成度と現実生活との乖離を鋭く突いたものだったと論じる。さらに、江藤自身が靖国懇話会に参加するなど政治参加を実践していた点を挙げ、三島の自決を短いスパンでは「下策」、長いスパンでは歴史を動かす行動として評価が変わり得ると述べ、西郷隆盛の西南戦争を100年後の視点で評価した『南洲残影』を引き合いに、歴史的行為の意味は時間の経過とともに変わることを強調している。最後に、文学者は自殺しうるが学者は自殺しないという違いに触れ、学者は歴史や資料と対決し続けるべき存在だと結論づけている。

【参考文献】
江藤淳「ヒットラーのうしろ姿」
江藤淳『閉ざされた言語空間』
江藤淳『南洲残影』
三島由紀夫『鏡子の家』
三島由紀夫『金閣寺』
三島由紀夫『憂国』
三島由紀夫『わが友ヒットラー』
石原慎太郎『太陽の季節』

【キーワード】
『鏡子の家』批判/石原慎太郎/三島の自決/小林秀雄/靖国神社参拝問題/『閉ざされた言語空間』/『南洲残影』/西郷隆盛/短期と長期の政治的見方/文学者と学者の自殺観

月刊正論12月号に岩田温の論説が掲載されました!

考察・保守主義「大量殺戮者はなぜ生まれる」

【概要】
イデオロギーという純粋な理念への傾倒が大量虐殺を招く危険性を論じる。アンリ・レヴィのイデオロギー批判を引きつつ、共産主義・ナチズムと並び、ロベスピエールが崇拝したルソーの思想がジャコバン派の粛清の源泉であったと指摘する。ルソーの生涯を、告白録に描かれたマゾヒズムや女性遍歴、自らの五人の子を孤児院に送った行為なども交えて詳述し、その美徳への異常な執着と自己神格化が、バークによる批判とも対比される。さらに『社会契約論』の抽象的な人間観・社会観が、現実の個人を軽視し全体を優先する思想へと繋がり、ロベスピエールの大量虐殺の理論的支柱となったことを論じる。最後に、福田恆存ら日本の知識人がルソーやロベスピエールに親和的だった「狂気」を批判し、政治を有徳な理念の実現の場とみなす発想自体の危うさを警告している。

【参考文献】
ベルナール=アンリ・レヴィ『危険な純粋さ』
ピーター マクフィー『ロベスピエール』
ジャン=ジャック・ルソー『告白』
ジャン=ジャック・ルソー『エミール』
ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』
ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』
エドマンド・バーク『バーク政治経済論集』

【キーワード】
イデオロギーと大量虐殺/ルソー/ロベスピエール/『社会契約論』/『告白』/自己神格化/マゾヒズム的傾向/孤児院に子を送った逸話/エドマンド・バーク/全体主義的人間観/福田恆存/日本知識人の狂気

月刊日本11月号に岩田温の論説が掲載されました!

岩田温×山崎行太郎 今こそ「江藤淳」を読み返す⑨

【概要】
江藤淳が三島由紀夫自決をめぐる小林秀雄との対談「歴史について」を、決闘に等しい厳しい対談であったと評し、三島の自決を病気とする小林に対し、堺事件や松陰・松陰事件を引き合いに反論した江藤の粘り強さを評価する。江藤の「ごっこ」論については、三島の『豊饒の海』における人工的なリアリティ構築を批判した鋭い視点だったとしつつ、大江の三島批判はイデオロギー的な単純化に陥りがちだと指摘する。さらに、大江や小林秀雄との対比を通じ、江藤の批評が一般的には合理性を欠くように見えても、歴史的事実に肉薄する迫力を持っていたと語る。晩年江藤が『南洲残影』で西郷隆盛に自らを重ね、三島とは距離を置きつつも割腹という現実に生涯こだわり続けたことを、政治的意義の変化とともに紹介している。

【参考文献】
江藤淳・小林秀雄「歴史について」『諸君!』1971年7月号
江藤淳「『ごっこ』の世界が終ったとき」『諸君!』1971年1月号
江藤淳『南洲残影』
三島由紀夫『豊饒の海』
三島由紀夫『憂国』
大江健三郎『セヴンティーン』
大江健三郎『政治少年死す』

【キーワード】
「ごっこ」論/三島由紀夫の自決/小林秀雄/「歴史について」/大江健三郎/『セヴンティーン』/楯の会/人工的リアリティ/割腹という現実/『南洲残影』と西郷隆盛/江藤淳

月刊正論11月号に岩田温の論説が掲載されました!

・特集≪私が考える救国内閣 理想の首相は誰?≫

・考察・保守主義「人は政治のみに生きるのか」

【概要】
本稿は「人は政治のみに生きるのか」と題し、革命政治が国家を絶対化し人間から悲しみや宗教を奪う危険性を論じる連載第七回である。冒頭で岡潔の悲しみ論を引き、政治や理性のみに還元できない人間の情緒に注目したうえで、フランス革命下の理性崇拝運動や「理性の祭典」を取り上げ、エベール派らが無神論を国是化し既存の宗教的・道徳的価値観を破壊した経緯を示す。続いてロベスピエールが無神論を放置すれば秩序が崩壊するとして「最高存在の祭典」を創始し、革命そのものを新たな宗教=「革命宗教」に仕立てた矛盾を、アーレントやマキャヴェリの立法者論、旧約聖書『ヨブ記』などを援用しつつ検討する。さらにポル・ポトやソ連の事例を通じ、国家が家族の絆や個人の信仰よりも優先される全体主義の論理を批判し、革命政治が個人の悲しみや宗教心を圧殺し人間性を歪める危うさを警告している。

【参考文献】
岡潔『情緒と日本人』
ハンナ・アーレント『過去と未来の間』
ミシェル・ヴォヴェル『革命詩人デゾルグの錯乱』
オーランドー・ファイジズ『囁きと密告』
『論語』
『旧約聖書 ヨブ記』
ニッコロ・マキァヴェッリ『ディスコルシ』

【キーワード】
政治と悲しみ/理性の祭典/エベール派/無神論運動/ロベスピエール/最高存在の祭典/革命宗教/アーレント/立法者論/全体主義と家族の絆/『ヨブ記』/マキャヴェリ